シリーズ「電力システム改革の真の貫徹」を考える
第4回 原発会計はどこまで特殊か
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福島第一原発事故による賠償・除染・廃炉の費用を、電力システム改革後も原発事業者のみならず新電力にも負担させる制度づくりが進められている。負担させる方策としては、送配電会社の託送料金に含めるとする案が最も有力であり、料金制度と関係の深い財務会計に関するワーキンググループが設置されこれまでに5回の会議が開催されている。
しかし、このワーキンググループでは、議論の立て方に問題があるのか、ほとんど会計的な議論は行われていない。例えば、賠償・除染・福島第一廃炉について国民負担の方策として税金か託送料金かという議論の立て方がなされたのに対し、「私は事業者の責任という観点から税金ではなく託送料金のほうがよいと思う」など、およそ会計の専門家である必要のない意見表明が行われたりしている。
会計的には税金と託送料金は全く異なる。託送料金で徴収すると、それは送配電会社の営業収入に含まれ、財務諸表上その内訳はわからなくなる。仮に内訳を示すような制度としたとすると、更なる会計問題が生じる。それは、賠償・除染・福島第一廃炉といった事故処理に係る損益を、営業損益計算に含めるという前代未聞の制度となるからである。事故処理に係る会計はそもそも特別損益項目なのである。
この点で、かつての損害賠償の制度は、会計的には透明性のある制度であった。つまり、東京電力の財務諸表において、特別損益項目に、被害者への支払額である「原子力損害賠償費」と国からの支援である「原子力損害賠償支援機構資金交付金」がそれぞれ計上され、相殺されていることが一目瞭然であったからである。金額の多寡や東電存続の是非はともかく、会計的には非常にクリアな制度であったといってよい(ただし、2014年度に原賠・除染等支援機構に名称変更してからは、賠償に関する会計情報と除染に関する会計情報を、それぞれ別の計算方法を適用するうえに、同一の項目で合算表示しており、透明性は消滅した)。
このような会計的な議論は一般的には馴染みがないかもしれないが、ワーキンググループの委員である公認会計士や会計学者などの会計専門家にとっては非常に明快な論点である。であるにもかかわらず、ワーキンググループではこのような議論にならない。事務局の提案に賛成する委員はその点を指摘しないし、そうでない委員もおそらく「なにか変だ」という違和感を抱きながらも追及するほどのことはしない。なぜか。
その理由は、伊藤委員が明快に述べた点にあるだろう。それは、通常のビジネスではありえない会計であるが、長期多額の投資をして国民のインフラを整えるという電気事業の公益性に鑑みてそのようなこともありえるのかと思う、という意見である。一般の感覚ではおかしいことも、公益事業なら特殊なので、特例措置を認めることもやむを得ないのかもしれない、と考えてしまうから、強く追及できないのではないだろうか。
確かに、電気事業は特殊であり、一般の事業とは異なる公益事業である。問題はどのように、どのくらい特殊なのか、ということである。
ここで、電気事業会計の思想(若林茂信・斎藤進『電気事業会計』日本電気協会、1958年)に立ち戻ってみよう。そこでは、こんにちの一般会社は社会性を有するが、電力会社は特に強度な社会性を有することが明記されている(5-6頁)。つまり、電気事業会計の特殊性とは、一般の企業会計よりもはるかに強い社会性を有するということである。社会性を有するということは、企業をめぐるあらゆる利害関係者と会計情報をつうじて意思疎通をはかり、公益のために絶えず改善努力をする必要があるということである。
翻って、現在の財務会計ワーキンググループでは、会計情報をつうじて意思疎通をはかるどころか、会計情報を混乱させ不透明にする議論が行われている。一例が、前述のとおり、託送料金という営業活動による収益に、事故処理という特別損益項目を混入させる提案である。別の例を挙げれば、過去に料金に乗せておくべきだったから、これから料金に乗せて取り戻す、という考え方も、普通では考えられない行動なので会計上どう処理するか前例がほとんどない。さらにもう一例を挙げれば、第5回のワーキンググループでは、加賀谷委員から原賠・廃炉等支援機構における一般負担金額の計算プロセスや見通しについて質問があったが、それに対する回答がいっさい行われなかった。つまり、情報提供の姿勢が圧倒的に不足しているのである。これでは、会計情報をつうじて電力会社と国民が意思疎通をはかり、より良い公益を追及していくことなど不可能である。
現在の財務会計ワーキンググループの議論では、電気事業の特殊性を悪用して、一般的な感覚とはかけ離れた制度を構築しようとしている。今一度、原発会計の特殊性とは何かというところに立ち返り、丁寧に議論を進めるべきである。