「夢見るドイツ」論の誤解
日本では、ドイツのエネルギー政策について、理想ばかりを追いかける非現実的な行動という論調を見かけることがある。「脱原発も温暖化対策としての自然エネルギー導入も理想としては結構だが、現実はそう甘くない」というような内容だ。多少の差異はあるが、「夢見るドイツ」に「現実的」な立場から斬り込む、という構図は共通している。
ドイツで自然エネルギーをめぐる言論の場に身を置く筆者にとっては、正直うんざりするほど聞いてきた意見だ。何十年にわたる社会横断的プロセスであるドイツのエネルギー転換。その挑戦の一歩一歩には、成功もあれば失敗だってあることは確かだ。それを「非現実的な理想主義」で片付ける発想を、ドイツのある流行語からひもといてみたい。
「善人」は悪口?
何よりも引っかかるのが、理想を追求することがあたかも悪いことのように言われる点だ。このような論調を見かけると、筆者は「Gutmensch(グートメンシュ)」というドイツ語の言葉を否応無く思い出す。「Gut=良い」と「Mensch=人間」を組み合わせた造語で、直訳すると「良い人」や「善人」という意味になるが、実際は倫理的根拠を掲げて論じる相手を、現実離れした理想主義者として揶揄中傷するために用いられる。日本語で分かりやすく言えば、「おめでたい奴」といったところだ。
この表現は近年ドイツのあらゆる政治的議論、特にインターネット上のコメント合戦で違う意見を持つ者を誹謗する言葉として定着していて、エネルギー政策も例外ではない。福島第一原子力発電所の事故を受けて、原子力の是非を連邦議会の倫理委員会に問うたドイツ政府や、気候変動対策として自然エネルギー導入を支持する政策を「Gutmensch」の仕業とし、「エネルギー転換 = おめでたい理想主義者の無責任な陰謀」といった具合の構図が、圧倒的少数とはいえ、ドイツでも反対派に根強くある。
しかし、匿名のインターネット上では頻繁に見かけるこの言葉も、面と向かって使う人間は今や皆無と言っていい。むしろ、使うと非難を浴びる言葉となっているからだ。
ドイツでは毎年、過ぎた年を振り返り、話題を集めた議論の中から最も不適切な表現を選ぶ、「Unwort des Jahres(年間悪語大賞)」という賞が発表される。言語学者などの審査員が、公共の場における言葉遣いの皮肉や矛盾を鋭く指摘するこの賞は、日本の流行語大賞のネガティブ版ともいえるもので、毎年大きな話題となっている。そんな「悪語大賞」で2011年に2位入賞を果たし、今年の1月10日に2015年の大賞に輝いたのがこの「Gutmensch」なのだ。審査委員会はこの言葉を「政治行動には倫理観が必要であるという、民主主義の原則に反する」(2011年)、話し相手を「十把一絡げにナイーブ(本来の意味は「バカ正直」など)、愚か、世間知らずと中傷し、本質的な論拠に基づく議論を妨げる」(2015年)と痛烈に批判している。
倫理を頭から否定しながら正義を語る、つまり善を悪と定義することは明らかに矛盾しているからだ。
ドイツのエネルギー転換は現実的な理想主義
たしかに、モラルを追求するばかりでは現実を進めることができない。しかし、倫理や理想は現実が抱える問題を映し出す鏡であり、それは良き方向への変化の大前提ではないだろうか。
ドイツでエネルギー転換に関わっている人々は多数にわたり、千差万別だ。自然エネルギー産業の雇用数だけで35.5万人以上(2014年)にのぼり、人口8千万人のうち9割がエネルギー転換を支持している。そこには、利益度外視で時間と資本をつぎ込む人もいれば、経済性を再優先に事を進める人もいる。自然エネルギーの導入支援に競争原理を求める声もあれば、それを拒む意見もある。全体の行く先を楽観視する者もいれば、その取り組みの壮大さにおののく者もある。政治家、研究者、経営者、被雇用者、市民、消費者、それぞれの利害や立場もある。その道40年のパイオニアもいれば、新たに登場してきた新鋭もいる。この、社会そのものともいえるほど多様に絡み合う価値観やニーズのせめぎ合いを、「お人好し」、「世間知らず」的なイメージで片付けることはまったくの論外だろう。
また、エネルギー政策に、理想やモラルの入り込む隙がないがないというのも、おかしい。手段や道筋をめぐる議論はあれども、ドイツのエネルギー転換の根底には、しっかりとした未来へのコンセンサスがあると、私は日頃から感じている。再生可能エネルギー・エージェンシー(AEE)が毎年行なっている世論調査でも、「再生可能エネルギーは私達の子供や孫達の未来を守る」(77%)、「再生可能エネルギーは気候を守る」(73%)という、倫理的なスタンスが最も多くの同意を得ている(数字は2015年)。
理想や倫理に裏打ちされた問題意識をブレない芯として共有しながらも、多種多様な意見、価値観、利害をすり合わせながら進んで行くドイツのエネルギー転換は、ナイーブで非現実的な「夢」だろうか。それはむしろ極めて現実的な考え方であり、現代社会が抱える問題に取り組むための、真摯な姿勢といえるのではないかと、私は思っている。