2018年9月6日に発生した北海道全域にわたる大規模停電、即ちブラックアウトについては、全国的に関心が集まり、マスメディアなどを通じて様々な議論がなされた。筆者も9月7日にコラムを掲載したところ、これへの反響は大きく、また様々な方面から意見を求められた。あれから1ヶ月が経過し、事実関係がかなり明らかになってきた段階で、改めてこの間の議論を整理し、意見を述べたい。
特に政府・経済産業省の対応は迅速で、節電などについて様々な情報発信を行った。電力広域的運営推進機関の下に検証委員会が立ち上がり、精緻な議論がなされていることも評価できる。検証委員会の議論は継続中だが、様々な技術的情報が公開され、詳細が明らかになりつつある。
残念ながら、ブラックアウトの可能性をゼロには出来ない以上、そこから教訓を得て、今後に活かすことは不可欠である。そのため、今回のように適切な検証作業が行われ、さらに政策論議を盛り上げることは重要である。このような観点から、この間に指摘された以下の4つの論点について、筆者も改めて意見を述べたい。
しかしこれは、無い物ねだりというものであろう。泊原発は現行の安全審査を通っておらず、1ヶ月前も現在も稼働していないし、稼働できない。さすがに、停電を防ぐために安全基準を緩和して再稼働すべきという議論を持ち出す人は、少数派であろう。
むしろ、207万kWもの道内の最大電源が6年間稼働していないこと自体が、本質的な問題ではないか。これは原子力特有の運転上のリスクであり、集中型であるがゆえに増幅されて顕在化しているのである。対照的に、分散型電源は分散立地しているがゆえに、道内において数10万kWの規模で止まる確率は極めて低い。
また、仮に1ヶ月前に泊原発が稼働していたとしても、地震の影響を受けた中で運転し続けられたかは疑問である。今回のような外部電源喪失という事態に陥らなかったとしても、緊急停止後の再稼働に時間を要し、深刻な供給力不足が続いたかもしれない。これも、集中型電源の集中立地の脆弱性である。
しかしこれは、事実に反する。そもそも苫東厚真発電所は、1号機が運開した1980年に遡ることができ、2号機は1985年に運開している。電力自由化が始まったのは1990年代半ばであり、4号機は2002年に運開しているが、その後も日本では競争がほとんど生じず、本格的な自由化が再度始まったのは、2012年以降である。泊原発についても、3基中2基は1991年までに運開している。要するに、自由化以前から北電に限らず電力会社は集中型電源を好んで建設してきたのであり、それは独占体制の賜物と言える。競争が集中型電源の集中立地を招いたのではない。
むしろ今回のブラックアウトを受けて反省すべきは、需給逼迫に際して相変わらず市場メカニズムが活用されなかった点である。2011年の計画停電の際には、スマートメーターがもっと導入されていれば、ダイナミック・プライシング(変動型の電気料金)が広範に適用されていれば、といった指摘がなされ、電力システム改革の一因となった。「我慢の節電」の非合理さが認識されたのであるが、今回もその教訓が活かされたとは言い難い。その象徴が、日本卸電力取引所の道内での取引が停止されたことである。
要するに、需給調整を最も効率的に行うのは、電力会社の裁量ではなく市場であるという認識が、相変わらず日本には浸透していない。地震直後の時点では、中央給電指令所の緊急的な指示が必要だったかもしれないが、少なくとも消費者に節電を要請する時点では、市場を通して自家発電の供給力やデマンド・レスポンスの提供を促すべきだっただろう。自由化は安定供給に寄与するのである。
まずそもそも、分散型電源は再エネだけではない。自家発、コジェネ、デマンド・レスポンスも該当する。また再エネの中でも水力や地熱、バイオマスは、調整力を提供でき、出力調整も可能である。未だ5%に過ぎない変動性再エネ(太陽光と風力)を増やすのももちろんだが、多様な再エネをバランス良く増やすことが重要であり、日本はそのようなリソースに極めて恵まれている。
また今回の風力の解列についていえば、火力や水力の供給力が圧倒的に落ちた結果、そうなったのであり、2011年の際には風力は運転し続けた。地震当時に京極揚水(40万kW)が停止しており、また道東との送電網が不具合を起こし、複数の水力(43万kW)が脱落した、といった要因が重なったことを考えても、再エネ自体に問題があったのではなく、これを活かせるようなシステム設計になっていなかったことを反省すべきだろう。そしてそもそもの発端は、やはり苫東厚真石炭火力発電所の「想定外」なのである。
確かに日本の送電網は欧州などと比べて高い。その一因として、10電力体制下の「電力仕様」が指摘されてきた。スペックが過剰になりがちな上、各社ごとに異なるため、割高になるというのである。自由化後も送電事業は自然独占であるため、規制機関が国際的に見ても適正な料金査定を行うことが期待される。
また送電網が高いとされる一因として、利用率が低いことも挙げられるのではないか。実際に北本連系線の利用率は極めて低く、今回のような緊急時以外には十分に使われてこなかった。本来地域間送電網を建設するのは、各地域別に大きな発電所を貯め込むよりも、その供給力を地域間で融通しあった方が効率的だからである。送電網の利用率が上がれば発電所を削減でき、システム全体の費用は下がる。このためには、地域をまたいで市場が機能している必要がある。
もちろん送電料金は少しでも安い方がよく、無駄な送電網を建設する必要はない。しかし、各地域内で(地域外の自社原発とつなぐ部分を含めて)十分な送電網が建設されてきた事実を考えると、地域間送電網にボトルネックが生じている背景には、建設費用以外の理由があるように思われる。独立した送電会社が主導する形で、今後の長期的な電源立地を踏まえた全国計画を立て、国際連系線を含めた真に必要な送電網を増強していくべきであろう。
誤解のなきよう言っておくと、今回のブラックアウトが戦後初だったということは、これまでの電力会社の努力の賜物であり、評価すべきであろう。また北電は系統運用に関する「N-1基準」を守っており、これまでの検証では大きな過失は見つかっていない。今後も当面の間は集中型電源に頼らざるを得ないし、再エネにも心もとない部分が多く残る。
しかしながら、今問われているのは、中長期的な方向性である。欧州諸国が競っているように、数十年かけて分散型電源の割合を高めることは可能であるし、今や最も経済性の高い選択肢となっている。2011年や今回の教訓を活かし、電力システムのパラダイム転換に踏み切れるか?経産省は、ブラックアウトの技術的検証に引き続き、電力システムを総点検するワーキンググループを立ち上げたようだが、中長期的な観点からエネルギー政策の再検証が行われることを期待したい。
<関連リンク>
北海道地震における全域停電に見る、集中型電力システムの脆弱性
(2018年9月7日)
ブラックアウトを巡る活発な議論
まず、この間に様々な議論が広範囲にわたって行われたことは、大きな意義があった。ブラックアウト自体は、様々な不都合をもたらしたものの、比較的短期間で収束した。この間の北海道電力の対応を評価する声もあれば、批判する声もあった。筆者のように集中型電力システムの脆弱性を指摘する意見もあれば、そうではないとの意見もあった。マスメディアがこの問題を取り上げ、多様な識者が意見を述べたことは、エネルギー政策の発展に寄与したと言えよう。特に政府・経済産業省の対応は迅速で、節電などについて様々な情報発信を行った。電力広域的運営推進機関の下に検証委員会が立ち上がり、精緻な議論がなされていることも評価できる。検証委員会の議論は継続中だが、様々な技術的情報が公開され、詳細が明らかになりつつある。
残念ながら、ブラックアウトの可能性をゼロには出来ない以上、そこから教訓を得て、今後に活かすことは不可欠である。そのため、今回のように適切な検証作業が行われ、さらに政策論議を盛り上げることは重要である。このような観点から、この間に指摘された以下の4つの論点について、筆者も改めて意見を述べたい。
泊原発を再稼働すべき?
第1に、ブラックアウトの背景には泊原発の停止があり、これを速やかに再稼働すべきという指摘があった。確かに当時泊原発が稼働していれば、ブラックアウトが起きなかった可能性がある。単純な供給力の足し算の問題として、207万kWがあれば、そもそも165万kWは不要だったからである。しかしこれは、無い物ねだりというものであろう。泊原発は現行の安全審査を通っておらず、1ヶ月前も現在も稼働していないし、稼働できない。さすがに、停電を防ぐために安全基準を緩和して再稼働すべきという議論を持ち出す人は、少数派であろう。
むしろ、207万kWもの道内の最大電源が6年間稼働していないこと自体が、本質的な問題ではないか。これは原子力特有の運転上のリスクであり、集中型であるがゆえに増幅されて顕在化しているのである。対照的に、分散型電源は分散立地しているがゆえに、道内において数10万kWの規模で止まる確率は極めて低い。
また、仮に1ヶ月前に泊原発が稼働していたとしても、地震の影響を受けた中で運転し続けられたかは疑問である。今回のような外部電源喪失という事態に陥らなかったとしても、緊急停止後の再稼働に時間を要し、深刻な供給力不足が続いたかもしれない。これも、集中型電源の集中立地の脆弱性である。
電力自由化の弊害か?
第2に、北海道電力が苫東厚真石炭火力発電所に過度に依存していた背景に、電力自由化があるとの指摘があった。電力会社が競争に晒された結果、発電単価の低い大規模石炭火力に依存せざるを得なかった。要するに、自由化したことで経済性重視に走り、安定供給が脅かされたというのである。しかしこれは、事実に反する。そもそも苫東厚真発電所は、1号機が運開した1980年に遡ることができ、2号機は1985年に運開している。電力自由化が始まったのは1990年代半ばであり、4号機は2002年に運開しているが、その後も日本では競争がほとんど生じず、本格的な自由化が再度始まったのは、2012年以降である。泊原発についても、3基中2基は1991年までに運開している。要するに、自由化以前から北電に限らず電力会社は集中型電源を好んで建設してきたのであり、それは独占体制の賜物と言える。競争が集中型電源の集中立地を招いたのではない。
むしろ今回のブラックアウトを受けて反省すべきは、需給逼迫に際して相変わらず市場メカニズムが活用されなかった点である。2011年の計画停電の際には、スマートメーターがもっと導入されていれば、ダイナミック・プライシング(変動型の電気料金)が広範に適用されていれば、といった指摘がなされ、電力システム改革の一因となった。「我慢の節電」の非合理さが認識されたのであるが、今回もその教訓が活かされたとは言い難い。その象徴が、日本卸電力取引所の道内での取引が停止されたことである。
要するに、需給調整を最も効率的に行うのは、電力会社の裁量ではなく市場であるという認識が、相変わらず日本には浸透していない。地震直後の時点では、中央給電指令所の緊急的な指示が必要だったかもしれないが、少なくとも消費者に節電を要請する時点では、市場を通して自家発電の供給力やデマンド・レスポンスの提供を促すべきだっただろう。自由化は安定供給に寄与するのである。
分散型電源も集中型電源と変わらない?
第3に、筆者は前回のコラムで再エネを含む分散型電源の重要性を指摘したが、これを批判する意見もあった。実際に17万kWあった風力は、地震直後に解列され、復旧には1週間を要したのであり、需給逼迫時に役に立たなかった。再エネは火力などの調整力あっての半人前の電源に過ぎず、期待できないというのである。まずそもそも、分散型電源は再エネだけではない。自家発、コジェネ、デマンド・レスポンスも該当する。また再エネの中でも水力や地熱、バイオマスは、調整力を提供でき、出力調整も可能である。未だ5%に過ぎない変動性再エネ(太陽光と風力)を増やすのももちろんだが、多様な再エネをバランス良く増やすことが重要であり、日本はそのようなリソースに極めて恵まれている。
また今回の風力の解列についていえば、火力や水力の供給力が圧倒的に落ちた結果、そうなったのであり、2011年の際には風力は運転し続けた。地震当時に京極揚水(40万kW)が停止しており、また道東との送電網が不具合を起こし、複数の水力(43万kW)が脱落した、といった要因が重なったことを考えても、再エネ自体に問題があったのではなく、これを活かせるようなシステム設計になっていなかったことを反省すべきだろう。そしてそもそもの発端は、やはり苫東厚真石炭火力発電所の「想定外」なのである。
送電網は高い?
第4に、分散型電力システムの重要な要素が送電網である。変動性再エネも含む分散型電源を有効活用するには、強靭なネットワークが不可欠である。今回も、本州と結ぶ北本連系線がもう少し太ければブラックアウトを防げたかもしれないが、このような主張に対して、送電網の建設費用は高く、電気料金が高騰するという反論が寄せられた。だから、送電網を増強するのは難しいというのだ。確かに日本の送電網は欧州などと比べて高い。その一因として、10電力体制下の「電力仕様」が指摘されてきた。スペックが過剰になりがちな上、各社ごとに異なるため、割高になるというのである。自由化後も送電事業は自然独占であるため、規制機関が国際的に見ても適正な料金査定を行うことが期待される。
また送電網が高いとされる一因として、利用率が低いことも挙げられるのではないか。実際に北本連系線の利用率は極めて低く、今回のような緊急時以外には十分に使われてこなかった。本来地域間送電網を建設するのは、各地域別に大きな発電所を貯め込むよりも、その供給力を地域間で融通しあった方が効率的だからである。送電網の利用率が上がれば発電所を削減でき、システム全体の費用は下がる。このためには、地域をまたいで市場が機能している必要がある。
もちろん送電料金は少しでも安い方がよく、無駄な送電網を建設する必要はない。しかし、各地域内で(地域外の自社原発とつなぐ部分を含めて)十分な送電網が建設されてきた事実を考えると、地域間送電網にボトルネックが生じている背景には、建設費用以外の理由があるように思われる。独立した送電会社が主導する形で、今後の長期的な電源立地を踏まえた全国計画を立て、国際連系線を含めた真に必要な送電網を増強していくべきであろう。
集中型システムから分散型システムへのパラダイム転換を
結局、これら4つの意見は、全て集中型のパラダイムからの反論なのである。原発が安くて安定供給に不可欠なベースロードであり、逆に再エネは高くて迷惑な電源と位置付け、市場メカニズムや地域間送電網の役割を期待しない。欧州でも20年前までは、集中型システムが常識的だったが、今では全てが正反対になりつつある。石炭火力も、未来がないと見なされるようになった。誤解のなきよう言っておくと、今回のブラックアウトが戦後初だったということは、これまでの電力会社の努力の賜物であり、評価すべきであろう。また北電は系統運用に関する「N-1基準」を守っており、これまでの検証では大きな過失は見つかっていない。今後も当面の間は集中型電源に頼らざるを得ないし、再エネにも心もとない部分が多く残る。
しかしながら、今問われているのは、中長期的な方向性である。欧州諸国が競っているように、数十年かけて分散型電源の割合を高めることは可能であるし、今や最も経済性の高い選択肢となっている。2011年や今回の教訓を活かし、電力システムのパラダイム転換に踏み切れるか?経産省は、ブラックアウトの技術的検証に引き続き、電力システムを総点検するワーキンググループを立ち上げたようだが、中長期的な観点からエネルギー政策の再検証が行われることを期待したい。
<関連リンク>
北海道地震における全域停電に見る、集中型電力システムの脆弱性
(2018年9月7日)