7月19日に掲載したコラム「日本の排出削減は『オントラック』なのか」の中で、福島第一原子力発電所事故後の特別の理由がある短期間の削減トレンドだけを示し、「日本はオントラック、他の欧米諸国はディレール」という主張をするのは建設的な議論につながらないのではないか、と疑問を呈した。これを読まれた研究者の方から、政府のオントラックという説明には、前回のコラムで指摘した点以外にも、重要な問題点があるというご指摘をいただいた。確かに前回のコラムでは触れていなかったので、追加説明をしておきたい。
政府の「オントラック」グラフの奇妙な点
図1は5月15日の基本政策分科会に出された「日本の排出削減の進捗」を示す図である。この図には排出量を示す青い棒グラフと、(森林)吸収量を示す短い緑の棒グラフ、排出量から吸収量を引いた排出・吸収量を示す黒い折れ線グラフが描かれている。
この図をよく見ると奇妙な点があるのに気が付く。なぜか基準年である2013年度には吸収量の緑の棒が描かれていない。また黒い排出・吸収量の折れ線グラフも2013年度には描かれていない。そして肝心の「オントラック」を示す削減傾向の赤い点線は、2013年度は排出量を示す青い棒の一番上を起点とし、2022年度は排出・吸収量の黒い折れ線の点を通るように引かれている。
図1 政府の「オントラック」グラフの奇妙な点
つまり削減傾向を示すという赤い点線は、2013年度は排出量、2022年度は排出・吸収量という異なるカテゴリーの数値を通っているのである。これは作図の間違いではない。政府の意図に沿った正しい表示なのだ。なぜか。
削減実績を底上げする日本政府の計算方法
実は日本政府の2030年度削減目標(NDC)は、基準年である2013年度だけは森林吸収量を引かない排出量(グロス排出量)を使い、その後の削減実績の計算には森林吸収量を引いた排出量(ネット排出量)を使うという独特の方式で設定されているのである。2013年度には森林吸収量がゼロだったわけではなく、計算上はカウントしないという話である。その結果、2014年度以降は実際の排出削減量に森林吸収量が上乗せされるから、この方式では削減量がいわば下駄を履いて削減率が高く見えることになる。こうした計算方法は「グロスネット方式」と呼ばれ1、京都議定書の時代から日本政府が提唱してきたものだ。現在、先進諸国では日本しか使っていない。
では、上乗せをやめて、基準年である2013年度も直近の2022年度も排出・吸収量(ネット排出量)を使って削減傾向を見るとどうなるのか。これを示したのが図2である。
図2 底上げを除くとオントラックにならない
緑色の点線が底上げをやめてネット排出量での削減トレンドを2050年度まで延長した点線である(7月19日のコラムで示した1990年度からのトレンド線を加えた図に加筆した)。削減量底上げマジックがなくなる分、削減トレンドは緩やかになり、2050年度になっても排出量はゼロにならない。図で見る限りでは、約4億トンの排出量が残っている。
各国のNDCを評価する独立系シンクタンクの共同プロジェクトであるThe Climate Action Trackerは、日本のNDCのレビューの中で、日本が使っているグロスネット方式について、「パリ協定の目的を損なうもの」と批判している2。
2013年度からの削減実績の実力は政府発表の半分以下
前回のコラムでは、2013年度からの排出削減がオントラックに見えるのは、福島第一原子力発電所事故後の発電部門の排出係数の悪化と改善という特別の理由の影響が大きいことを指摘した。これに加えてもうひとつ、基準年だけ吸収量を入れない、というマジックもオントラックのように見せる要因になっていたわけである。環境省の2013年度の温室効果ガス排出量(確報値)の発表資料によれば、この年度の吸収量は61百万トンである3。前回コラムで見た原発事故後の排出係数改善による削減量は少なく見ても100百万トンはある。合計すると160百万トン以上になるから、政府がオントラックという基準年度2013年度から2022年度までの温室効果ガス削減量322百万トンの半分以上は、この二つが理由だということになる。
こうした要因があることを全く説明しないで、日本の排出削減がオントラックで、他の先進諸国は削減がうまく行っていない、という説明をするのはやめたほうがいい。
IPCCが提起した1.5℃目標を実現するための排出削減目標を実現するのは、どの国にとっても容易ではない。特に脱炭素化へのエネルギー転換を先導してきた欧州各国はロシアのウクライナ侵略に起因するエネルギー危機の影響を大きく受け、いくつかの困難に直面している。
しかし、石炭火力のフェーズアウト、自然エネルギーの導入、鉄鋼業など産業の脱炭素化、カーボンプライシングの導入など、脱炭素経済への転換に最も重要な施策において、日本に先行する取組みが進んでいることは正確に評価すべきだ。客観的な評価をせずに「日本は決して出遅れていない」と強がっていては、日本にいま必要な政策改革を実現することはできない。