1. はじめに
脱炭素化社会を目指す中でEU各国や米国では2021年末から2022年初頭にかけて低炭素水素の排出基準値が定められてきた。日本では2024年5月に成立した水素社会推進法1に基づき開催された委員会において2、ようやく化石燃料と水素等3の燃料(アンモニア、合成メタン、合成燃料含む)の価格差を支援していく上で、事業者が考慮すべき低炭素調達基準案が提示された。
ここで示された低炭素水素とアンモニアの基準値は、それぞれ化石燃料由来グレー水素とグレーアンモニアの排出量から「約7割削減」と主張されているが、実際は、低炭素アンモニアについてはグレーアンモニアの「6割減に満たない」ことがわかった4。
また政府は、年内に一件目の価格差補助案件の採択を目指すとしているが、その対象と目されるのが、政府が「ゼロエミ火力」と呼ぶ石炭火力発電へのアンモニア混焼である。しかし、提示された排出基準に基づき、石炭火力へのアンモニア混焼や専焼技術の排出量を算定した結果、2030年代半ばの実現が目指されている50%混焼では従来の石炭火力の約7割の排出が残り、2040年代末をめざす100%専焼でも約4割の排出が残ることが分かった。しかも従来の燃料である石炭よりも相当高価で、その差額は数兆円規模の補助金額となる。輸入燃料への依存が続くことで、エネルギーの安全保障に寄与しないばかりか、国内産業と雇用育成に投じえた税金が短期間の値差支援に費やされる可能性も高い。
このコラムでは、その状況と課題について述べる。
2. 日本と各国の基準値
まず、今回示された低炭素水素等燃料の温室効果ガス発生量に対する基準値を表1に示す。いずれも天然ガスを原料として製造されるグレー水素、グレーアンモニアの排出量の約7割減(約3割分は排出)とされている。この水素の基準を欧米主要国(表2)と比較してみると、EUタクソノミーの基準値は日本より少し厳しく、ドイツは再エネ電力を用いたグリーン水素を基本とし、産地証明を求めているため、さらに高い要求水準である。英国の低炭素水素基準値は2.4と日本よりも厳しく、米国は基準値に幅があるものの、より低い値に向かうインセンティブが働く制度となっている。
表1 水素等燃料の温室効果ガス排出量に対する基準値5
表2 欧米主要国の水素に対する基準値
なお、表1と表2で示された排出量の算定範囲のWell-to-Gateとは、原料採掘から水素製造工場の出口までを示す。特に、化石燃料由来の水素は、原料(化石燃料)の採掘から水素製造工場までの過程における投入エネルギーやリークするメタンガスとしての温室効果ガス排出が避けられないため、水素製造工程から発生するCO2を100%回収・貯留しても、GHG排出量が上流分として残ってしまう。この課題を次に示す。
3. アンモニア製造プロセスと排出基準値の算定範囲
JERAの低炭素アンモニアの調達は2028年になる見込みであり6、現在値差支援の対象と目される石炭火力混焼用には、当面グレーアンモニアが使用されると考えられる。図1に、化石燃料由来のブルーアンモニア7製造プロセスとサプライチェーンの概要を示す。
全体は、大きく次の5つから構成される。
1)燃料供給・輸送
2)アンモニア製造・処理
3)処理・輸送
4)貯蔵・輸送
5)利用
- 1)は天然ガスの採掘とブルー水素・アンモニア製造工場入口までの過程で、主に上流工程と呼ばれる。この工程では、採掘や輸送に要するエネルギーに由来するCO2だけでなく、採掘と輸送プロセスで漏洩する天然ガス(メタン)の温暖化影響8も大きい。
- 2)のアンモニア製造プロセスでは、まず天然ガスから水素を製造し、発生したCO2を分離回収し、地下等に貯留してブルー水素とする。そのブルー水素と空気から分離した窒素を反応させてアンモニアを製造する9。
- 3)では、そのアンモニアを冷却・液化し、専用船にて輸送する。この液化プロセスや船舶輸送にはエネルギーを要し、CO2が発生する。
- 4)利用国に到着したアンモニアは陸揚げ・貯蔵・利用地へ輸送される。
- 5)最後に、利用地で消費される。石炭混焼であれば、発電所がこの部分に相当する。
図1 化石燃料由来アンモニアのサプライチェーン(製造および輸送プロセス)
つまり、アンモニア燃焼によってCO2が発生しない「ゼロエミ」部分は5)のみであり、その原料採掘・輸送である上流工程1)と、2)の水素製造とアンモニア合成プロセス、3)と4)の輸送・貯蔵では、温室効果ガスであるメタンの漏洩やエネルギー消費に伴うCO2が発生する。これは、化石燃料由来の水素やアンモニアは、それらの製造工程で発生するCO2を100%分離貯留しても、採掘プロセス(上流工程)で発生するメタンガスやエネルギー消費に伴うGHG発生が避けられないことを意味する。そのため、水素やアンモニアなど関連燃料の温室効果ガス発生量の基準設定には、どの範囲の値とするか、という点が重要である。この範囲については、次のように分類されており、範囲が広くなればなるほど温室効果ガス発生量も大きくなる
水素やアンモニアの製造工場だけの範囲 Gate-to-Gate
原料採掘から製造工場出口まで Well-to-Gate
原料採掘から利用者まで Well-to-Point-of-Delivery
原料採掘から利用後まで Well-to-Wheel10
この状況を踏まえ、各国の基準を比較する時には、表1、2のように、輸送など各国固有の条件を除いたものとして、Well-to-Gateが広く採用されている。しかし、気を付けなければいけないのは、グリーン水素だけでなく化石燃料由来のブルー水素を支援対象と考える場合は、Wellto-Gate 範囲における上流工程でのGHG発生とメタン漏洩が課題であり、詳細に見ていく必要がある。
図2は、米国エネルギー省(DOE)が、クリーン水素の基準策定にあたって、その製造における温室効果ガス発生プロセスをブルー水素について示したものである。上流工程とCCSを含む水素製造工程の詳細が記載されている。また、英国は、その基準を公表し、GHG排出量として計上すべき各プロセス(上流工程、水素製造工程、CCS)とそれぞれの発生源を規定している(表3)。
これらの図1、図2や表3からもわかるように、化石燃料の採掘から輸送、水素製造と CO2除去・貯留それぞれにおいてエネルギー消費と温室効果ガス(天然ガス、CO2)リークにより、多くのプロセスで温暖化影響が発生する。ブルー水素やブルーアンモニアで基準値を満たすには、これらのプロセスでの温暖化影響評価が必須となる。化石燃料由来の低炭素水素やアンモニアを認める日本も、米国や英国と同様、水素製造工程だけでなく、上流工程各プロセスを含めたGHG算定方法と基準が必要だ。
さらに、日本の場合は、長距離の海上輸送による輸入が前提で、液化/貯蔵/積載/海上輸送/陸揚げ/貯蔵と、エネルギー消費と漏洩を伴うプロセスが追加されるため、Well-to-Gateを範囲とした場合に、基準値に現れない排出を考慮する必要がある。つまり、基準としては、Well-to-Gateでは不十分で、Well-to-Point-of-Deliveryとするか、少なくとも、日本までの海上輸送分を含む範囲とすべきではないだろうか。
このようにライフサイクルで見れば、現時点ではあまりにも狭い範囲での「ゼロエミ」である。基準値で示された排出量は上流工程および水素・アンモニア製造・CCSによるものであるが、さらに液化と輸送に伴う排出量が上乗せされる。この部分も、日本が推進する輸入中心の水素とアンモニアの大きな課題である。
図2 ブルー水素製造時の温室効果ガス発生プロセス(図1の赤枠部分)
表3 英国における低炭素水素製造に関連するGHG排出源の種類と内容
4. 各燃料のGHG排出量
経産省が示した排出基準(表1)を発熱量あたりの値に換算し、IEAによる製造プロセスごとの水素とアンモニアのGHG排出量(Well-to-Gate)の値との比較を行った11。それぞれの上流工程を分けて比較したのが図3である。この図からわかるように、発熱量あたりの 低炭素アンモニアのGHG排出量12は、石炭に対して38%であり、62%減にしかならない。上流分の排出量を除いた値(石炭:115g- CO2e/MJ_LHV, 低炭素アンモニア:32.4 g- CO2e/MJ_LHV)では、72%減、石炭の28%排出となる。したがって、「Well-to-Gateで7割減」という現在示されている基準案には、米国や英国が含めている上流工程からの排出を含まないのではないか、という疑問が生じる。
次に、今回発表された炭素集約度基準でアンモニアを調達した場合の排出量を確認する。
図3 上流工程を含めた各燃料のGHG排出量(Well-to-Gate基準)
5. 石炭火力に対するアンモニア混焼、専焼のGHG削減効果
図4は、経産省が提示した基準のアンモニアを対象に、混焼率を20%、50%、100%とした場合の石炭火力発電の排出量である。50%混焼したとしても石炭とアンモニアの燃焼と、アンモニア製造の上流工程を入れれば31%削減にしかならず、アンモニア専焼であったとしても、上流分の排出も含めると元の石炭火力の62%削減であり、残りの約4割が排出される。2024年4月末に開かれたG7(先進7カ国)気候・エネルギー・環境相会合では、排出削減対策のない石炭火力を2035年までに廃止することで合意した。IPCC第六次報告書では「排出削減対策済み(abated)となるにはライフサイクルで90%程度の脱炭素化が基準である」との記載があり、日本の炭素集約度基準では国際的に対策済みであると認識されるとは言い難い13。世界的なカーボンニュートラル目標とは相いれないものである。
図4 石炭火力におけるアンモニア混焼によるGHG排出削減効果
6. 「ゼロエミでない部分」の排出を意識する需要側
図3にあるように自然エネルギー由来のグリーン水素専焼であれば排出は9割削減できる。しかしそのためには下流の火力発電所ではなく、まず上流の自然エネルギーに投資する必要がある。日本企業 87 社を含む世界420 社以上が参加するRE100 イニシアティブでは、「混焼発電によって化石燃料を使用する火力発電所の運転期間を長期化させる可能性がある」ことから、グリーンであっても混焼発電については制限していくという厳しい条件が議論されている。年内に改定される予定だ。日本がいずれグリーンにと言いながらそのような基準や見直し時期を示さず、専焼になるのも2050年までの見込みで、実質的には化石燃料継続利用になっていることへの懸念が示されているのである。また転換のために必要な効果的な炭素価格の設定などのインセンティブが必要だ。気候変動イニシアティブの200以上のメンバーは、「企業の投資判断に役立つ形で、IEA が示す 2030 年 130 ドル/t-CO2 など、国際的な水準に比肩する炭素価格を目指すことを明示するべき」とのメッセージを出した14。また2024年7月には2035年までの国内石炭火力のフェーズアウトも求め、削減率が低く、高コストなアンモニア混焼事業を支援する日本政府に一石を投じている15。
今回のコラムは日本政府が示した水素等の燃料の炭素集約度基準がどういう意味を持つのか、石炭火力のアンモニア混焼事業を例として説明した。グリーン、ブルーといった色ではなく、基準値が重要だとして、日本が炭素基準を示したことは一歩前進であるが、その基準は、長距離の輸入プロセスに伴う排出だけでなく、上流部分の排出も算入されていないのではないか。結果として、アンモニア専焼の火力発電が可能になったとしても、海外で多量の排出を残すことを許すものである。
深刻な気候危機回避をするためのカーボンニュートラル目標のためには、「ゼロエミではない部分」の排出を含めた包括的な基準設定、エネルギー転換へのビジョンが求められている。