シリーズ 「エネルギー基本計画の論点」(第11回)脱炭素化の加速による欧州の競争力強化を提案したドラギレポート基本政策分科会での誤読を解題する

大野 輝之 自然エネルギー財団 常務理事

2024年10月29日

[特設ページ]エネルギー基本計画の論点

EUは脱炭素化で「現実的な政策」に方向転換した??

 欧州中央銀行(ECB)前総裁だったマリオ・ドラギ氏が9月9日に発表したEUの競争力強化に向けた報告書(ドラギレポート)が、欧州だけでなく日本でも話題を呼んでいる。しかし日本での議論にはいささか特異な点がある。

 10月8日に開催された経済産業省の基本政策分科会では、会議の冒頭で資源エネルギー庁の村瀬長官がドラギレポートについて、「現実を踏まえた政策の方向転換、シフトが見られる」と発言し、事務局の経済産業省が「ドラギレポートの概要」とするものを報告している。これを受けて複数の委員から、「欧州も環境重視の野心的なエネルギー対応というのを考えていたのが、かなり現実的な状況に流れが変わってきている」「脱炭素化で世界をリードしてきたはずの欧州が、脱炭素化が自国産業に与え始めた負の側面、そこから産業競争力の強化というものを前面に打ち出してきている」「欧州、とくにドイツのおかしたミス」といった発言が相次いだ。

 続く10月23日の分科会の事務局資料でも、「これまでの議論の整理」として、「過度な脱炭素化は安定供給や経済性を損なう可能性がある」という記述に続け、「脱炭素化をリードしてきたEUが、脱炭素が産業に与える負の側⾯も踏まえ、産業競争⼒強化を⾏う⽅針を提⽰したことは重要な事実」と記載されている。

 ドラギレポートの正式名称が、"The future of European competitiveness"、「欧州の競争力の未来」であることからもわかるように、この報告書は、欧州の今後の競争力を高めるための課題を分析し、提言を行っている。脱炭素化の分野でも、欧州の産業競争力強化のための提案が行われている。しかし、ドラギレポートのどこを見ても、「過度な脱炭素化」などという言葉は出てこないし、脱炭素化の速度を緩めるというような議論は全くない。基本政策分科会でのドラギレポートの解釈は、この報告書の本来のメッセージからはかなり乖離したものだ。

ドラギレポートは何を提起したのか

 ドラギレポートは欧州の新たな産業戦略として、先端技術における米国や中国とのイノベーションギャップを埋めること、持続可能な成長の前提であるセキュリティを高めることとともに、脱炭素化と競争力のための共同計画を確立することを提起している。エネルギー政策と関係するのは、主にこの分野である。

 この分野で成長の障害として最初に、そして最大の問題として指摘されているのは高いエネルギーコストである。

「ロシアのウクライナ侵攻とそれに伴うパイプラインの天然ガス喪失によって、エネルギーの状況は不可逆的に変化した。エネルギー価格はピーク時からかなり下がったとはいえ、EU企業は依然として米国の2~3倍の電力価格と4~5倍の天然ガス価格に直面している」1

 エネルギーコストをいかに引き下げるかが、欧州の競争力強化の重要な課題として提起されている。そして間違えてはいけないのは、ドラギレポートは、コストを引き下げるために、安価な自然エネルギーなど脱炭素エネルギーのメリットをユーザーが享受できるようにするための改革、そしてエネルギー部門の脱炭素化の加速を提言しているということである。

脱炭素化はエネルギー価格高騰の原因ではない

 基本政策分科会に提出された事務局資料も、「エネルギーコスト⾼が産業に与える影響」として、「ドラギレポートでは、欧州の⾼いエネルギーコストが欧州企業の成⻑の妨げになっている点を指摘」と記載している。しかし、より重要なのはドラギレポートが「エネルギー価格高騰の根本原因」について述べている部分2である。しばしば日本で言われる「脱炭素化がエネルギーコストの高騰を招く」というような分析は全くない。

 価格高騰の原因として指摘しているのは、まず「欧州の天然資源不足と、世界最大の天然ガスの買い手であるにもかかわらず欧州の団体交渉力が限られていること」である。これに加えて、ガス・デリバティブ市場の問題点も指摘されている。

 脱炭素化との関係で重要なのは、欧州の市場ルールによって、発電の脱炭素化がもたらす恩恵がエンドユーザーに届けられていないという問題の指摘である。ドラギレポートは「電力部門の市場ルールは、自然エネルギーと原子力の価格を、より高く変動しやすい化石燃料価格から完全に切り離すことはできず、エンドユーザーがクリーンエネルギーの恩恵をフルに電気料金で享受することを妨げている」と述べている。日本でも同じだが電力市場での価格は限界費用の最も高い電源の発電コストの水準で決定される。ここでの分析では、2022年にEUの電力ミックスでは天然ガスの割合は20%であったにもかかわらず、63%の時間帯で価格決定権を有していたと指摘されている。ドラギレポートは、安価な自然エネルギー電源の恩恵をエンドユーザーが享受するための手法のひとつとして、PPAなどの長期契約の活用を提唱している。

 更に、エネルギー価格高騰の原因を無くしていくために、自然エネルギー電源開発の加速とそのための送電網整備の加速を提唱し、「不確実な許認可プロセス」の短縮化を求めている。これら自然エネルギー電源開発と、特に送電網整備の加速については、ドラギレポートの各論編のエネルギーの章で詳細に述べられている3

ドラギレポート誤読の構造

 ではなぜ、基本政策分科会ではドラギレポートの誤読のとも言えるような議論が行われたのか。その原因は、経済産業省がこの日に提出した資料が誤解を生むような内容になっていたからではないか。具体的に見てみよう。事務局資料の3ページ「ドラギレポートの概要(全体)」の中で、脱炭素・エネルギーに関する内容として示されたのは下図の資料である。

 この中で最初の項は、

「欧州の野⼼的な脱炭素⽬標が、産業界に短期的な追加コストをもたらし、欧州産業界にとって⼤きな負担となっている点を指摘。欧州グリーンディールは新たな雇⽤の創出を前提としており、脱炭素化が欧州の脱⼯業化につながればその政治的持続性は危うくなる可能性についても指摘。」

 と記載されており、当日の事務局の説明でもこの部分が読み上げられた。

 この部分だけを聞くと、確かにドラギレポートは欧州の高い脱炭素目標に疑問を呈したのか、と受け取る人がいるのも無理はない。だが、実際にはこの記述は、原文全体の中から原文では2ページ離れた別のパラグラフから別の文章を切り出して、つなぎ合わせたものなのだ。この部分の原文の記述は、以下のようになっている4

  1. EUの脱炭素化目標は競合相手よりも野心的で、欧州の産業に短期的な追加コストをもたらす。

EUの削減目標が企業に対し拘束力のあるものであるのに対し、米国の目標は拘束力がないこと、中国の削減目標が低いことを指摘し、特にエネルギー集約産業、重工業には短期的にコストがかかるとの予測を紹介。

  1. 脱炭素化は、欧州がエネルギー価格を引き下げ、クリーン技術(クリーンテック)で主導権を握ると同時に、エネルギー安全保障を高める機会を提供する。

脱炭素化により自然エネルギーや原子力という限界発電コストの低いエネルギー源が大量に導入されること、欧州には自然エネルギー資源に恵まれた地域があり、すでに米国・中国を上回って導入されていること、また欧州がクリーン技術でリーダーであることを指摘。

  1. しかし、中国の設備容量と規模の拡大を考えると、EUのクリーン技術に対する需要がEUの供給で満たされる保証はない。

中国が太陽光発電、風力発電、EVなどの分野で他の主要経済国の4倍もの国家補助金を投入して競争力を高めていることを指摘。中国製品が欧州市場に流入する傾向を指摘。

  1. 欧州は、自国産業の競争力を維持しつつ、脱炭素化の道をどのように追求するかについて、根本的な選択を迫られている。

中国製品に対して米国は高い関税で締め出そうとしているが、欧州では「白か黒かという解決策は、欧州の状況では成功しそうにない。中国の技術を組織的に締め出すという米国のやり方を真似ることは、エネルギー転換を後退させる可能性が高く、したがってEU経済に高いコストを課すことになる」と指摘。そして、この次に、「脱炭素化が欧州の脱工業化につながれば、その政治的持続性は危うくなる可能性がある。」という文章が出てくる。

 以上の構成と対比すると、経済産業省の作った「ドラギレポートの概要(全体)」という資料の問題点がわかる。

  1. 脱炭素化の影響については、2.で書かれているメリットには全くふれず、1.の短期的な追加コストの可能性だけを断定的に書き出している。「欧州産業界にとって⼤きな負担」という表現も原文とは異なる。
  2. 中国の競争力の高さおよび中国への対応について米国の手法とも違いを論じている3.と4.の主要な内容には全く言及せず、主に中国の競争力への対応に関連して書かれている「脱炭素化が欧州の脱工業化につながれば、その政治的持続性は危うくなる可能性がある。」という文言だけを抜き出している。
  3. この二つの文章を組み合わせて、あたかもドラギレポートが「EUの野心的な脱炭素目標が欧州の脱工業化につながる」、と指摘しているような誤解の原因を作り出している。

 全体の論旨展開や文脈を無視して、都合がいい文章だけを抜き出す手法はチェリーピッキングと呼ばれるが、今回、基本政策分科会に提出された資料はまさにその事例と言われても仕方ないのではないか。今後の日本のエネルギー政策を議論する重要な場に、このような資料が提出されたのは残念なことである。

日本で学ぶべきこと

 10月10日にIEAはドラギ氏を招き、エネルギーと競争力に焦点をあてたラウンドテーブルを開催している。その冒頭でドラギ氏は「野心的な脱炭素目標と、雇用、繁栄、競争性を両立できるのか」という質問に答え、概略以下のように答えている。

  • 気候目標において野心的であり続けなければならない。気候変動がもたらすコストは対策に要するコストよりもずっと大きい。
  • 欧州が米国や中国の数倍のエネルギーコストを払い続けるなら競争力を持てない。だから脱炭素化のひとつの目標は欧州の競争性を高めることであり、成長させることだ。この報告書では、「脱炭素化は成長の源泉、競争力の源泉である」と書いている。
  • 欧州は天然資源に恵まれていないが、自然エネルギーに強みを有し優れた実績を持っている。太陽光と風力の資源にも恵まれている。欧州はこの強みを活かすことが必要だが、そのために脱炭素化を加速する必要がある。

 ドラギ氏は、これに続けて先に紹介した電力市場の問題点などに言及している。このラウンドテーブルの内容は公開されているので、ご関心のある方は直接ご覧いただきたい5

 基本政策分科会での紹介と議論は、ドラギレポートの内容を正確に理解したものにはなっていない6。1.5℃目標を実現するためのエネルギー転換と産業競争力を維持しながらの脱炭素化が容易でないことは明らかであり、先行して脱炭素化に取り組んできた欧州がいくつかの困難な課題に立ち向かっていることは間違いない。ドラギレポートは、野心的な脱炭素目標を堅持しながら、欧州の経済競争力を維持していくために何が必要なのかというテーマに取り組んだ一つの報告書である。

 欧州全体で電力に占める自然エネルギーの割合はほぼ50%程度になっている。これに対して日本ではまだ20%台の前半に留まっている。最も大量の二酸化炭素を排出する石炭火力を英国はすでに全廃し、他の多くの欧州諸国も2030年代までのフェーズアウトを明確にしている。日本ではいつまでに石炭火力の利用をやめるのか、何の目途も示されていない。

 いま求められているのは、脱炭素化を加速しながら、それを日本経済の競争力強化につなげる戦略である。ドラギレポートも含め、海外での経験、知見を正確に受け止めた真摯な議論が必要だ。

  • 1European Commission, “The future of European competitiveness” Part A | A competitiveness strategy for Europe 10p
  • 2同上39p以降 “The root cause of high energy prices”
  • 3“The future of European competitiveness” Part B | In-depth analysis and recommendations SECTION 1 | CHAPTER 1 Energy 電力については32p以降。なお、EUに加盟する国の中にはフランスのように原子力発電を推進する国もあるから、ドラギレポートの中には原子力発電供給の維持など、原子力発電に関する記述も含まれている。しかし、全体を見れば自然エネルギー開発の促進、送電網開発の加速などに力点がある。後述のIEAのラウンドテーブルの中でも、ドラギ氏は「将来的に殆どすべてのエネルギーが自然エネルギーで供給される」と発言している。
  • 4“The future of European competitiveness”  Part A | A competitiveness strategy for Europe 35-38p
  • 5IEA,  “Former Italian Prime Minister Mario Draghi and IEA Executive Director discuss energy and Europe's competitiveness”(2024年10月10日)
  • 610月18日、気候変動イニシアティブ(JCI)が主催した気候変動アクション日本サミット2024の冒頭に登壇したジャン=エリック・パケ駐日欧州連合(EU)大使は、「ドラギレポートは、欧州が気候変動問題への取り組みを続けることができない、あるいは続けたくないことを示唆するものだと、ここ東京でも分析され、紹介されることがあります。私は今日、この誤解を解きたいと思います。」と述べ、欧州の気候対策の内容を紹介している。

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外部リンク

  • JCI 気候変動イニシアティブ
  • 自然エネルギー協議会
  • 指定都市 自然エネルギー協議会
  • irelp
  • 全球能源互联网发展合作组织

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