11月25日に開催された経済産業省・環境省の合同会合において、事務局を務める両省は来年2月に国連に提出する次期NDC(削減目標)の水準案を公表した。これによれば「2050年ネットゼロへの直線的な経路」とされる2035年60%削減、2040年73%削減が今後の検討の軸と位置付けられている。
国内のこの間の議論では、2035年、2040年ではより多量の排出を許容(オーバーシュート)し、あとで多くの削減を行う、あるいは、大気中から回収する、という意見もあったので、直線的な経路が示されたことを評価する意見もある。
しかし、政府案は一見、IPCCの提起した2035年60%削減に合致しているように見えるが、IPCCが基準とする2019年からの実際の排出削減は49%程度に留まり、先進国としての日本の役割を果たすものにはなっていない。
国の60%削減目標の実際は49%削減
IPCCが昨年3月、第6次評価報告書において「気候変動は人間のの幸福と地球の健康に対する脅威であり、全ての人々にとって住みやすく持続可能な将来を確保するための機会の窓が急速に閉ざされようとしている。」という危機感の表明とともに、「オーバーシュートしない又は限られたオーバーシュートを伴って温暖化を50%以下の確率で1.5℃以内に抑える経路」として示した世界のGHG排出量の削減目標は、2019年比で2035年に60%削減である(表1)。
これに対し、今回示された政府案は2013年比である。IPCCの基準年2019年比にすると2035年までの削減率は53%減になる。このように削減率が小さくなるのは、日本が基準とする2013年が福島第一原発事故を受けて原発ゼロになり、火力発電への依存度を高め、排出量が急増した年だったからである1。
更にもうひとつの問題は、日本のNDCは基準年にはグロスの排出量を使い、目標年にはネットの排出量(グロス排出量から森林などの吸収量を引いたもの)を使うという国際的には例外的な方式(グロス―ネット方式)を採用していることである2。基準年の2013年にも当然、吸収量はあるのだが、そこはカウントせず目標量のほうにだけ加えるという方式だ。この方式だと、2035年の目標達成のカウントには、実際の削減量に加えて、この期間(2013-2035年)の吸収量の増分だけでなく吸収量全量をまるまる上乗せすることが可能になる。
政府はグロス―ネット方式も国際ルールで認められていると説明している。確かに京都議定書の時代には、この方式を使う国はいくつかあったが、現在は先進国では殆ど使われていない。各国のNDCを評価する独立系シンクタンクの共同プロジェクトであるThe Climate Action Trackerは、日本のNDCのレビューの中で、日本が使っているグロスーネット方式について、「パリ協定の目的を損なうもの」と批判している3。
国の案が2035年の吸収量をいくらと見積もっているかは明記されていないが、2013年以降の実績では、各年50~60百万トン程度となっている。この分をカウントすると2019年で53%削減だった政府案を実現するために必要な排出量の削減率は49%になる4。
このように、一見、IPCCの提起した2035年60%削減に合致しているように見える今回の政府案は、IPCCの2019年基準で評価し、同じ概念の排出量(グロスーグロス)で比較すれば49%削減に留まる。
先進国の責任を果たせない政府案
表1に示されているようにIPCCの示した60%削減は、温暖化を50%以下の確率で1.5℃以内に抑える経路49~77%の中央値である。国はIPCCの示した削減の幅に照らし、49%でもギリギリ範囲に入っていると考えているのかもしれない。
だが忘れてならないのは、これは世界全体の排出削減目標だということだ。本来、これまで多くのGHGを排出してきた先進国には世界平均より高い削減が求められる。前述のThe Climate Action Trackerは、先進国の日本が2035年に目指すべき削減目標は日本政府が基準年とする2013年比では81%(ネットの場合。グロスでは78%)としている。これは2019年比では約72%である5。
来年1月20日、米国では気候変動対策に背を向けるトランプ政権が発足する。米国内では“America Is All In”に結集する州政府、都市、自治体などの力で対策が継続されるが、気候危機への国際的な戦いでは、これまで米連邦政府が果たしてきた役割をトランプ政権に期待することはできない。その状況の中で、先進国として日本が果たすべき役割は、EU、英国、オーストラリアとともに一層大きくなる。IPCCが求める世界全体の削減レベルの下限ギリギリのNDCで、気候対策において世界をリードできるはずはない。
野心的なNDCとその実現を可能にする自然エネルギー拡大・エネルギー効率化の加速を
COP29では、出席した英国のスターマー首相がこれまでの削減目標を引き上げ、1990年比で81%とすることを公表して注目をあびた。こうした高い目標が提起できる背景のひとつが、本年9月に達成した石炭火力発電の完全なフェーズアウトであり、またそれを可能にする自然エネルギー導入量の拡大であることは間違いない。英国の電力供給に占める自然エネルギーの割合は風力発電を中心に増加し、50%に近づいている。スターマー首相が率いる労働党のマニュフェストは、「2030年までに陸上風力発電を2倍化、太陽光発電を3倍化、洋上風力を4倍化」という極めて意欲的なものだ。前保守党政権が2050年に原子力発電で電力の25%を供給するという戦略を公表したが、現実には原発による供給量は年々低下し、2023年は過去最低の13%になっている。
自然エネルギーの導入が遅れ、エネルギー効率化も停滞してきた日本では、これまでの排出削減実績は全く「オントラック」ではなかった。いま求められるのは、意欲的なNDCを掲げるとともに、これと整合するように、脱炭素化へのエネルギー転換を加速するエネルギー基本計画を定めることである。
改定する基本計画の目標年次とされる2040年までに、原子力発電を新設することは、新設までのリードタイムに20年を要するという政府の説明からも不可能である。現在の2030年目標である原子力による20-22%供給の実現も困難な中で、既存原子炉の老朽化が更に進む2040年に2030年より高い目標を掲げることは現実的ではない。
日本における脱炭素化は、自然エネルギー拡大とエネルギー効率化の最大限の加速によってこそ実現することができる。気候危機の深化に対し、日本が先進国としての役割を果たせるNDCを掲げ、その実現を可能にする現実的なエネルギー転換戦略を策定し実行することを政府に強く期待する。