ドイツの新たな連邦政府は、中道右派のキリスト教民主同盟/キリスト教社会同盟(CDU/CSU)と、中道左派のドイツ社会民主党(SPD)による連立政権である。フリードリヒ・メルツ(CDU)首相のもと、新政権は新たな政治的・経済的状況のなかで、ドイツの気候・エネルギー転換という野心的な目標をいかに前進させるかという課題に直面している。
新政権の政策で最も重要なポイントは、1) 2045年までのカーボンニュートラル、2) 原子力発電の廃止、3) 2038年までの石炭火力発電廃止という3点において、これまでのドイツの気候・エネルギー政策が継続されていることである。同時にいくつかの部分においては、化石燃料からの転換が遅れる懸念もあり、今後の展開に注目が必要である。
引き続き野心的な気候目標を堅持
政権交代があったものの、ドイツの気候目標に変更はない。ドイツは引き続きパリ協定を順守し、2045年までの気候中立(カーボンニュートラル)達成を目指すことを誓っている。これらのコミットメントは、2025年5月14日に連邦議会(Bundestag)で行われたメルツ首相による初の政府方針演説の中で明確に再確認された:1
「我々は、国家的、ヨーロッパ的、国際的な気候目標を引き続き堅持する(Wir halten an den nationalen, europäischen und internationalen Klimazielen fest)」
このような明確な政治的コミットメントは、国内外に対して政策の安定性と信頼性を示すものであり、政権の構成に関わらず、ドイツが今後も世界の気候行動を牽引していく意思を表している。
シュナイダー環境大臣(SPD)はこの方針を補完する形で、2025年末までに包括的な気候行動プログラムを策定・提出することを表明している2。このプログラムは、ドイツの気候変動対策法に基づくものであり、2030年および2045年の目標達成に向けて必要な対策を再整理・強化するものとなる。すべての主要部門を対象に、既存の取り組みを広げる内容が想定されており、なかでも運輸部門や建物部門といった、これまで削減が難しかった分野への対策も含まれる予定だ。
ただし、2025年の連立協定3には注意深く見ていくべき微妙な内容も含まれている。ドイツ政府は、1990年比90%の温室効果ガス削減を掲げるEUの2040年目標を支持すると書かれているが、以下のような前提が置かれている。
- 国内での削減努力は、既に設定されているドイツの2040年目標(88%削減)を超えないこと
- EUの2040年目標のうち最大3%分については、欧州域外のパートナー国における高品質・認証済み・恒久的なCO₂削減プロジェクトによって代替可能とすること
- 国内での削減を最優先としつつ、恒久的かつ持続可能なネガティブエミッション(例:CCS)も限定的に算入可能とすること
これらの方針は、国際的なカーボンクレジットやネガティブエミッションの取り扱いについて、従来と比べて柔軟性を持たせたものとなっている。柔軟な対応を可能にする一方で、それが実効的な排出削減につながるのか、制度設計とその運用の行方については引き続き注視が必要である。
カーボンプライシングの重視
野心的な気候目標を維持しながら、新政権はその達成に向けた手段の見直しを進めている。特に大きな変化のひとつが、市場ベースのメカニズム、特に炭素価格付け(カーボンプライシング)を気候政策の中心的な柱として強調している点である。
メルツ首相は政府方針演説の中で、気候保護は競争力と両立可能でなければならないと述べ、カーボンプライシングを「気候目標達成のために最も重要な手段」と位置づけた1。連立合意3もこの方針を裏付けており、ドイツはEUの排出量取引制度(EU-ETS)と国内のCO₂価格制度への取り組みを引き続き強化する姿勢を示している。
これらの制度から得られる収入は、家計の負担軽減や産業支援、クリーンイノベーションへの投資などに再分配される予定である。このような市場メカニズムを通じて、経済計画と気候中立の目標を整合させていく戦略が打ち出されている。
原子力発電:復活はなし
2024年の選挙戦では、CDU/CSUの一部から原子力政策の見直しを求める声も上がったが、新政権はこの議論に明確な終止符を打った。2025年5月9日に開催されたルートヴィヒ・エアハルト・サミット(政財界の主要関係者が集う年次会合)4において、カタリーナ・ライヒェ経済・エネルギー大臣(CDU)は次のように述べた。
「原子力からの脱却は完了している(Der Ausstieg ist vollzogen)」
また、ライヒェ大臣は、原子力の再導入には多額の財政的コストに加えて、これを担う企業側の信頼回復が不可欠であると指摘した。加えて、ドイツ国内には原子力に対する懐疑的な見方が根強く、民間企業による投資の見込みも不透明であることがうかがえる。ライヒェ大臣は、原子力への投資の機会はすでに過去のものであり、今後は自然エネルギーや移行期を支える技術(トランジション技術)に注力すべきとの見解を示した。5
石炭火力発電の廃止とガス火力発電への対応
連立合意では、2038年までの石炭火力発電の段階的廃止という従来の方針が確認されている3。一方で、新政権のエネルギー戦略の中では、天然ガスを移行期の技術(ブリッジテクノロジー)として位置づける姿勢が強調されている。
前政権も、2024年2月に発表された発電所戦略(Kraftwerkstrategie)6の中で、水素への移行が可能なガス火力発電所を最大4回、各回最大2.5GWの容量枠での入札を実施する方針を示していたが、新政府は2025年5月に開催されたルートヴィヒ・エアハルト・サミットにおいて、ライヒェ経済・エネルギー大臣が、2030年までに最大20ギガワットのガス火力発電を新設する意向を表明した。7この方針は2025年の連立合意にも盛り込まれており3、特に自然エネルギーの比率が高まる中での系統安定性や電力供給の確保を目的としている。20GWの拡大にあわせて、将来のガス火力発電にCCSを組み込む可能性についても示されている。前政権ではCCSの適用は主に排出削減が困難な産業部門に限られていたが、現政権はその活用の可能性を発電分野にも広げる方向で検討している。
しかし、気候政策の観点からは、大規模な化石燃料発電の拡張には注意が必要である。自然エネルギーを中心とする電力システムには柔軟性や調整力が欠かせない一方で、水素転換やCCSの導入が想定どおりに進まない場合、長期的な排出固定化(ロックイン)のリスクが懸念される。
それでもドイツ政府は、エネルギーの安定性、価格の手頃さ、そして排出削減の3つを同時に達成することが必要不可欠であるとの立場をとっている。今後数年間が、ガス火力がエネルギー転換の「つなぎ」として機能するのか、それとも転換の妨げとなるのか、その分岐点となるだろう。
建物エネルギー法の見直し
前政権が、暖房分野の脱炭素化を目指して「建物エネルギー法(Gebäudeenergiegesetz, GEG)」8を改正し、2024年から新規設置の暖房設備に自然エネルギーの割合を65%以上義務づける条項を導入したことは、当初から激しい議論を呼んだ。家庭に対する具体的な支援策が明確に示されなかったこと、誤情報が広く流布したこと、また政治的な思惑が絡んだ批判などにより、世論から強い反発を受けた。
2025年の新政権は、この条項を現行の形では廃止するとしている3。しかし、脱炭素化という本来の目的を放棄するわけではなく、より簡潔で、かつ国民の受容性を高めた改訂版を導入する方針を示している。
2025年5月現在、GEGおよび前政権下で決定された暖房関連の条項は引き続き有効であり、今後数ヶ月の間にどのような見直しが行われ、建築分野の脱炭素化がどのように推進されるのかが注目される。
財政政策と気候中立への道筋
ラース・クリングバイル財務大臣(SPD)は、2025年5月の予算演説において9、安定的かつ将来志向の経済こそが、持続可能な社会変革の基盤であると強調し、財政政策を経済の近代化と環境的転換(エコロジカル・トランスフォーメーション)の両立を支える手段として位置づけた。
この取り組みの中心となるのが、2025年3月に創設された「Sondervermögen Infrastruktur(インフラ特別資金)」である。この特別資金は連立合意の一部であり、憲法上の債務ブレーキの適用外とされ、今後12年間にわたりインフラ整備および自然エネルギーを中心とした主要プロジェクトへの投資に充てられる予定である。総額は5,000億ユーロにのぼり、近年で最も大規模な近代化プログラムとされている。このうち1,000億ユーロは、気候・変革基金(KTF)に充てられる計画であり、2045年までの気候中立の実現に向けた政府の強いコミットメントを示すものとなっている。10
まとめ
フリードリヒ・メルツ首相の率いる新政権は、複雑な挑戦に迫られる時代に発足した。新政権は、野心的な気候変動対策、エネルギー安全保障、経済の強靱性を地政学的な困難が増す中でバランスさせなければならない。
新政権が国内外で野心的な気候目標を引き続き堅持していることは希望をもたらす。同時に一部の政策動向には注視すべきものがあり、エネルギー転換が確実に進められていくのか、今後の展開が明らかにしていくことになるだろう。
- 1フリードリヒ・メルツ首相による政府方針演説(「Regierungserklärung」)、2025年5月14日
- 2カールステン・シュナイダー環境大臣による連邦議会での大臣演説、2025年5月15日
- 32025年連立合意文書(「Koalitionsvertrag」)
- 4ルートヴィヒ・エアハルト・サミット 2025 (政財界関係者が集う年次会合)
- 5カタリーナ・ライヒェ経済・エネルギー大臣による演説(2025年5月9日)、MDR報道による
- 6ドイツ連邦経済・気候保護省BMWK、2024年2月5日
- 7カタリーナ・ライヒェ経済・エネルギー大臣による演説(2025年5月9日)、ZEIT報道による
- 8ドイツ連邦住宅・都市開発・建設省BMWSB、2023年9月8日
- 9ラース・クリングバイル財務大臣による連邦議会での大臣演説、2025年5月15日
- 10DIHK “Sondervermögen Infrastruktur“ (インフラ特別資金)