連載コラム ドイツエネルギー便り

日本にはどうして、ドイツのエネルギー転換が「失敗」と伝わるのか

2015年7月16日 ツェルディック・野尻 紘子 ジャーナリスト 哲学博士

日本の方から「最近、ドイツのエネルギー転換が失敗しているという報道がますます増えている」という話を 聞いて、不思議だ、そんなことはないのにどうしてだろうと思う。現実はその反対で、道程は長いが、この国のエネルギー転換は 着実に進んでいる。再生可能エネルギーによる発電量は増加を続け、昨年はドイツの総発電量の26.2%に達した。この6月末には、ドイツ南部、バイエルン州のグラーフェンラインフェルト原発が停止したばかりだが、その後で、電力の安定供給に支障が出たという話は一切聞いていない。そしてドイツでは7月初めに、二酸化炭素排出量の多い褐炭火力発電所2.7GW分の停止が決まり、二酸化炭素の排出量を2020年までに1990年比で40%削減するための目処が立ったところだ。

ドイツのエネルギー転換は、電力分野だけではなく、暖房や給湯の熱分野、人間の移動や物資の運搬などの運輸分野も含む包括的なものだ。工業大国が、従来からのエネルギー供給の大黒柱である石油や石炭、天然ガス、そして原発を放棄して、それを自然エネルギーで賄おうということは、並大抵のことではない。エネルギー転換にはエネルギーの効率の向上や節約も欠かせない。ドイツのメルケル首相はエネルギー転換を「ヘラクレスの大事業」と名付けている。ある人はドイツの「月へのミッション」、別の人は「100年がかりの大プロジェクト」と言っている。

ドイツは、どの先進国もまだ経験したことのない試みに挑戦しているのだから、試行錯誤があって当然だ。エネルギー転換のための技術がまだ欠けていたり未熟だったりする分野がある。今までのエネルギー供給の構造が崩れ、既得権を失う人たちが多く出るのだから、しばしば異議を唱える人たちが現れる。将来に至るまで莫大な金銭が動くことになるので、地域や企業、個人が口を挟む。利害関係が絡むから、あちこちで摩擦も起こる。方針がすぐには決まらないことがある。決められないこともある。しかし、これらの事態を今の段階でもう、ドイツのエネルギー転換は「失敗」と決めつけるのは間違っている。100年がかりの大プロジェクトは、まだ始まったばかりだ。そして成功例は既に各分野で数多く誕生している。

それなのに、日本ではどうして、「ドイツのエネルギー転換が失敗している」というニュースが増えているのだろうか。ドイツのマスメディアの報道や、エネルギー転換に何らかの形で関わっているドイツ人の発言が(それについて日本人が報道する場合も)、興味を喚起したり影響力を増大する目的のために、或いは、その他の理由で、故意に大げさに扱われたり、不適当に偏って伝ってはいないだろうか。注意して読まなければならないケースは、意外に多いのかもしれない。

例えば、「業界ロビー団体、ドイツ・エネルギー水道事業連盟(BDEW)のトップマネージャー、ヒルデガート・ミュラー氏、エネルギー転換を危ないと見る」という見出しの新聞記事が手元にある(ベルリンの日刊紙「ターゲスシュピーゲル」6月24日)。こういう見出しを読むと、ドイツのエネルギー転換はもう「失敗」だ、と短絡的に理解する人がいるのではないだろうか。しかしこの記事は、同連盟の年次総会がある前日のミュラー氏の記者会見の報告で、注意深く読むと、「エネルギー転換が危ない」というのは記者の解釈で、ミュラー氏自身の発言は、「連立政権のパフォーマンスには落胆せざるを得ない」となっている。政府がいろいろな方針をなかなか固めないので、しかも政府は彼女に提案を求める様子も見せないので、ミュラー氏は業を煮やし、「BDEWは建設的な対話をする準備がある」と語っている。つまり政府に対して「我々の意見を聞くべきだ」と主張しているのだ。そして 「迅速に方針を決めていかないと、エネルギー転換は上手くいかない」と、総会に出席する予定の連邦経済エネルギー相を事前に牽制しているのだ。

同じテーマを扱った全国紙「フランクフルター・アルゲマイネ」の記事(同じく6月24日)の見出しは、「エネルギー転換への賛成減る」だ。この見出しだけ読んで、ドイツのエネルギー転換は上手くいっていない、住民の支持が減ったようだ、だから「失敗だ」と取る人がいるかもしれない。記事の本文ではしかし、「 『 政治家はエネルギー転換の課題を解決することが出来る』という文章を、調査に参加した市民の53%もが支持していない。このような高いネガティブ数値は初めてである」となっている。この記事だけでは、この調査がどの程度信頼性のある調査なのかは分からないのだが、この53%の人たちが、エネルギー転換の将来を心配しているということは伝わる。ただ、この人たちがエネルギー転換を「失敗だ」と言った、とはどこにも書かれていない。

ドイツにある16の州の中で、最も多く原発に頼っているのはバイエルン州だ。原発は 2013年の時点で、同州の総発電量の47.3%を占めている ⅰ 。従ってドイツ政府の脱原発決定は、他州より同州にとって一番堪える。バイエルン州に隣接するバーデン・ヴュルテンベルグ州にもまだ稼働している原発がある。優秀な産業の沢山ある両州にとり、電力の安定供給は非常に重要だ。そこで、ドイツ北部の北海やバルト海のウィンドパークで多量に発電される電力を、電力需要の多い南ドイツ地方に送る高圧送電網の敷設を、ドイツの最後の原発が停止される2022年末までに完了することが計画されている。

しかし、バイエルン州のホルスト・ゼーホーファー州首相は、ことあるごとに「送電網は必要ない」、「バイエルン州はガス火力発電所を新たに建設すべきだ」などと発言して、計画の具体化を妨げてきた。第一の理由は、住民の反対だ。第二の理由は、バイエルン州の電力の自給自足が損なわれることだ。そして北ドイツから送られる電力は、北ドイツに支払いをしなければならない。そうなると、資金がバイエルン州から流失してしまう。これは同氏の好まないところだ。そして世の中では、ゼーホーファー氏の発言を聞いて「高圧送電網の敷設が危ぶまれているから、ドイツのエネルギー転換は失敗に終わるに違いない」と早合点し、「エネルギー転換は失敗」と囃し立てる人たちが増えているのではないだろうか。

ドイツには各地に、送電網の敷設に反対する大勢の人たちがいる。主な理由は、「景観が損なわれる」「電磁波の人体に対する影響が怖い」などだ。私がある住民運動の会合に取材に行った際に、集まった人たちの反対があまりに激しかったので、「貴方たちは脱原発に反対なのですか」と訊いたことがある。「とんでもない! 原発は必ず切ってもらわなければ困ります」という答えが返ってきて、びっくりしたことを思い出す。反対の趣旨は概ね、自分の目に留まる場所に高圧送電網など敷設されたくない、nimby (not in my back yard) ということのようだった。例えば、建設予定の基幹高圧送電網「ズュードリンクに反対するドイツ全国市民運動連盟」の掲げるモットーは「エネルギー転換に賛成、電力アウトバーン・ズュードリンクに反対」だ ⅱ 。このことから、市民の送電網敷設への反対はエネルギー転換に向けられたものではないことが分かる。ドイツのこういう人たちの力は強い。泣き寝入りなどせず、話し合いを通して目的を達成するケースは結構ある。

ゼーホーファー氏は、まるで反脱原発、反脱炭素とも聞こえるような発言で、2013年の州選挙に大勝している。そして今回はこの7月1日深夜、ドイツの連立政権を構成する党首間の会議で、「北ドイツから南ドイツに走る基幹高圧送電網ズュードリンクに関しては、優先的に(住民の望む)地下ケーブルを敷設する」という経費的には大変割高な取り決めを取り付けてしまった。エネルギー転換への反発は、政治家にとり、住民の意思を反映させる手段、自身の手腕を見せる場所とも成り得るのだ。ゼーホーファー氏がこれからズュードリンクの建設に反対することはないだろう。そしてドイツのエネルギー転換は一歩前進する。


 ⅰ ドイツ再生可能エネルギー・エージェンシー 2015.06: „Bruttostromerzeugung und Anteile der Erneuerbaren Energien in den Bundesländern“
http://www.foederal-erneuerbar.de/grafiken?file=tl_files/aee/Pressegrafik/AEE_Karte_Stromerzeugung_Bundeslaender_2013_jun15.jpg
 ⅱ ズュードリンクに反対するドイツ全国市民運動連盟サイト:
http://buergerinitiativen-gegen-suedlink.de/ueber-uns/


執筆者プロフィール
ツェルディック・
  野尻 紘子

(Zerdick Nojiri Hiroko)
ドイツ滞在合計で50年を超える。国際キリスト教大学卒。ベルリン自由大学哲学部博士号取得。元日本経済新聞記者。2011年夏、ドイ ツの脱原発や自然エネルギーの進展などを主に伝えるウェブサイト「みどりの1kWh - ドイツから風にのって」(midori1kWh.de)をジャーナリスト仲間らと立ち上げ、現在に至る。

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